第1回
辰馬本家酒造株式会社の第15代当主であり、西宮商工会議所会頭の辰馬章夫さん。全12回の連載で、な〜るにおつきあいいただきます。
老舗商家に生まれて
「白鹿」でおなじみの辰馬本家酒造は、1662(寛文2)年に酒造りを始めたと伝えられ、本年創業350周年を迎えました。
辰馬章夫さんは、1941(昭和16)年1月21日に誕生。辰馬本家の第15代として成長します。
「小学校に上がる頃から、父親には会社によく連れて行かれました。家業を継ぐことは、当たり前のこととして受け入れていましたね」
実は病弱な子でした
「自宅は今で言うお手伝いさんたちの躾や行儀見習いの場でもあり、蔵人さんやお客様たちがしょっちゅう出入りしていたので、絶えず大勢の人たちに囲まれていました。ただ、私は生まれつき病弱で、小学生時代は修学旅行にも行っていないんですよ。とにかく大事な長男として超過保護に育てられました。食糧も乏しい時代でしたが、専属の看護婦さんがついて栄養管理をしてくれました」
現在、各界の重要な役目を精力的にこなしておられる辰馬さんからは想像もできません。
当時の写真を見ると「養育担当○○」の名が。
「学校の送り迎えはその養育担当がしてくれていました。でも当時は、同クラスの中に爺や、婆や付きの子どもも何人かいましたよ」
戦火の痕
辰馬さんが生まれた年の12月に、日本は米英に宣戦布告。4年後の敗戦により、財産は没収され、酒造業とともに営んでいた海運業や保険業を手放しています。
「過去に二人の女性当主がいるんです。第10代夫人辰馬きよと第12代辰馬たきの二人ですが、きよの時代に船会社を興し、番頭の辰榮之介とともに繁栄の基盤を築いています。また、12代たきには子供がなく、私の祖父となる吉左衛門を13代として分家(白鷹)から養子に迎え、最も家業が発展した時代を作っています。甲陽学院を創立したのもこの時代です」
過去には、酒造会社の多くが海運業を営んでいますが、自社の製品を運ぶ船を運航するうちに一般物資を運ぶようになったことが海運業進展のきっかけとなっています。
また海運と保険は付き物であり、自然に保険業も始まりますが、敗戦で酒造業と育英事業に専念するようになる経緯については、後に述べることにします。
つづく
軽妙な語り口で聞く人を魅了する辰馬さんのお話。愛する街の話題と共にお楽しみに!!
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