第8回
フォークデュオとして息の長い活動を続ける「紙ふうせん」のお二人。歌に対する想いや姿勢についてお聞きしました。
伝承歌について
伝承歌は、人から人へ口伝えにつながれてきた歌。後藤さんは、学生時代から一貫して、伝承歌を追求し続けてきました。
悦治郎 伝承歌にある言葉は、生活の中から生まれてきた言葉で、ひねった言葉ではありません。また、作業しながらの歌ですから、メロディーは単調です。
関西に帰ってからは、関西の放送局が応援してくれて、番組のテーマ曲を作る依頼がありました。「大阪湾の上をヘリで飛んで曲を作ります」と伝えたら、和歌山沖くらいまで飛んでくれたんです。そこからアイデアが浮かんで、近畿地方の伝承歌を掘り起こすシリーズが始まりました。各地へ取材に行って、地元のおじいちゃん・おばあちゃんと会い、その地方に伝わる歌を集めました。79年から2年間、「おはよう朝日」で、3ヶ月に1回くらいの割で放映されていましたが、いい機会をいただきました。
歌の使命
悦治郎 「赤い鳥」時代に、ステージで「翼をください」を歌えなくなったことがあります。松山沖で飛行機が落ちた日でした。「この歌は歌えません」と拒否し、当時はそれが正しい姿勢だと思っていたのですが、違うんです。「表現」としての歌の命をお客さんに届けることがプロの仕事なんです。
95年の阪神淡路大震災後、被災地の各所で歌っていて、「ああ、こういうことだったのか」と、歌に気づかされました。
― この大空に翼をひろげ、飛んでいきたい ― という、一見ハッピーな歌が、実は鎮魂歌になるのだと感じたのです。歌詞の― 悲しみのない自由な空へ飛んでいきたい ―に死生観を感じますし、― 翼が欲しい ―という「翼」は、「翼」そのものではなく、象徴する言葉であって、だからこそ広く支持されているのだと。
10代〜20代のころは、「自分が伝えている」と思っていたのですが、50歳を過ぎてからは、曲自体が独り歩きして、たまたま平山泰代という声を通してその曲を伝えているのだと思えるようになりました。
その泰代さんは、歌い方も声もデビューの頃と変わりなく維持し続けていますが、その秘訣は?
泰代 くよくよしない、内にためないことですか。解決していないことがあったら、笑顔で寝られませんもの。にっこり笑って眠りに就きたいんです。
(つづく)