人、街、酒

第1回

フォークデュオとして息の長い活動を続ける「紙ふうせん」のお二人。それぞれの子ども時代を振り返ります。

やはり歌大好きっ子

悦治郎 歌うことが大好きでした。少年探偵団の歌や、赤胴鈴之助の歌など、当時の子どもが誰でも歌うような歌。それと、三橋美智也の歌が大好きで、よく歌っていました。小学校の頃に住んでいたのは、吹き抜け三階建ての大きな家で、庭に井戸があったので、その井戸に向かって歌っていたんです。井戸の中はよく反響するので、エコー代わりです。

泰代 ラジオで色々な歌を聴いて楽しんでいました。ある日、朝日放送ラジオから、「ABCこどもコーラス団募集のお知らせ」が流れてきたんです。朝日放送ラジオ専属の合唱団の募集で、応募資格は、小学校4〜6年生の歌が好きな人。「受けてみたい!」と親に相談して、オーディションに臨みました。自由曲を1曲歌って、20人ぐらい合格しました。いまだに当時の受験番号88番は、覚えているんです。(笑)
 放課後に中之島のスタジオに行って、ラジオで流す子どものための曲を歌って録音するお仕事がスタートしました。

まじめないたずらっ子

悦治郎 小学校高学年の頃は、遊ぶことしか興味がなかったですね。大きくなったら何になる?なんて考えてもいませんでした。でも、物事を真剣に考えてはいました。
 親に怒られたことの中で、思い出に残っているのは、水道のメーターボックスを壊したことですね。父は国会議員を務めた人でしたが、庭掃除、ぞうきんがけなど、躾がとても厳しい家で、何事も「もったいない、もったいない」と言われて育ちました。メーターボックスの針を止めたら親が助かるのではないか? と「名案」を思いついて、金槌でメーターの上のガラスを割ったんです。一瞬のうちに水が吹き上がって、近所じゅう大騒ぎ。親が喜んでくれると思っていたのに、逆に大目玉をもらいました。
 またある時は、学校の廊下の真ん中に野の花を挿した牛乳瓶をずらりと並べたことがありました。クラスに牛乳屋の娘さんがいたので、空き瓶を調達してもらいました。何を企んでいたかって? 廊下の右側通行ができないことを先生から注意され続けていたんですが、牛乳瓶を並べて廊下を仕切ったら、きれいに右側を静かに歩くようになりました。

泰代 悦治郎さんは、アイデアマンなんです。子どもの頃から、その素質が開花していたんですよね。

 好奇心旺盛な少年と、歌を仕事にすることを覚えた少女。二人が出会うのは、もう少し先のことです。

つづく


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