歌でつなぐ

第7回

人生の指針

大学卒業後はオペラ界からの誘いもたくさんありました。しかし、舞台で上演するオペラは、演出家から求められることが多くて、自分の中にある音楽とは、何かが違うと感じていました。 

20代の頃は、音大の助手や講師をしながら、自分が進むべき道を模索していたのです。そんな時、24歳でドイツ歌曲で初リサイタル、そして29歳でシューベルトの歌曲集「冬の旅」全24曲を歌うという経験によって、自分にはドイツ音楽が一番だと、心が決まりました。

山に囲まれた丹波で育った僕には、バッハの世界、シューベルトの曲がピタリと合うということに、改めて気付いたのです。

バロック一色に

シューベルトのリサイタル終了後、30歳の時、武庫川女子大学の専任講師となり、生活が安定してきました。30代からは、真剣にドイツ歌曲一筋の道を歩み始めました。振り返ってみると、今の僕の足元を固めるための数年間のようです。

「冬の旅」をはじめとして、シューベルトの3大歌曲集と言われている「美しき水車小屋の娘」全20曲、「白鳥の歌」全14曲を、次々と1週間おきにリサイタルで歌いあげました。周りからは、「暗譜するだけでも大変だったでしょう?!」と感嘆の声を上げていただきました。

この年には、長女も生まれ、プライベートでも充実していましたね。

二人三脚で大作に挑む

その後も、ブラームスの歌曲集「マゲローネのロマンス」や、シューマンの「詩人の恋」・「リーダー・クライス」など、本当にたくさんの大きな作品に挑戦しました。

この頃、大きな出会いもありました。「彼が居たから、大作に挑戦しよう!
という気になれた」と言っても過言では無い、ピアノ伴奏者の岡原慎也氏です。 歌うのは僕なのですが、彼と二人三脚だからこそ、成し遂げられたと思っています。

こうして精力的に大作に挑み、「大阪文化祭賞」や「咲くやこの花賞」など、数々の名誉ある賞を頂くことが出来ました。

心の内の疑問


たくさんの賞を頂くことが出来、とても嬉しい半面、「賞」や「音楽評論」に、ものすごく敏感になっている自分がいました。リサイタルの数ヶ月後に発行される音楽雑誌を、毎回ドキドキしながら読んでいたのです。

人から見た自分への評価に、一喜一憂していることが窮屈になり、誰のために、何のために歌うのか、深く考えてみることこそが大切だと感じ始めました。

次回に続く