歌でつなぐ

第4回

大学院へ進む

大阪音楽大学卒業後は、大学院進学への道を選び、オペラを研究する傍ら、学外でも貴重な経験をしました。大学生の頃から続けていたテレマン活動のおかげで人脈が広がって、テレビや舞台から出演依頼をいただいて、楽しく過ごしました。

朝の連ドラに出演

NHK大阪放送局制作の連続テレビドラマ小説「虹を織る」(1980年10月〜1981年4月)に、音楽の先生役で出演しました。主人公は紺野美紗子さん。宝塚音楽学校を目指す主人公に歌を指導するシーンがあったんですが、僕のセリフの「ちょっと待って」と言うアクセントが変。出演者の中で、僕だけが丹波訛りなんですよ。誰も僕のアクセントを指導してくれなかったのは、歌うようにセリフをしゃべっていたからかもしれませんが、今でも録画ビデオを見ると笑ってしまいます。

ロシア人になる(?)

森繁久彌氏のミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」にも出演しました。梅田コマ劇場で1ヶ月間の連日公演でしたから、いいアルバイトでしたよ(笑)。

僕はロシア人将校役でした。畏れ多くも大物俳優の森繁さんや谷啓さんが演じるユダヤ人を見下したような態度で演じなければならず、偉そうに胸を張り、声も張り上げて、浪々と歌っている写真が、今も手元にあります。

東京の帝国劇場で稽古をしていた時に「ロシア人の方はこちらへ集合」と号令がかかり、あわやコサックダンスの練習!?(笑) という珍事もありました。僕が演じる将校役は歌がメインなので、コサックダンスは免れましたが。

多彩な大学院時代

その後、宝塚歌劇団の名演出家である白井鐵造氏に推され、東京で上演されるオペレッタのテノールに大抜擢されていたのですが、学生の身分ゆえスケジュールに折り合いがつかず、残念ながら実現できませんでした。

日本テレマン協会の延原先生には「今頃、俳優かミュージカルで大活躍していたかもしれないね」なんて言われます。

次回に続く