歌でつなぐ

第3回

大阪のキャンパスライフ

大阪音楽大学は、篠山から通うには遠すぎるため、阪急・庄内で下宿生活が始まりました。3畳一間の下宿では、歌の練習なんかできません。夜9時まで使える大学のレッスン室へ毎日通っていましたね。恩師の田原先生の声楽授業以外にも、多くのことを学びました。

今でこそ、コンサートで弾き語りや、歌の指導などでピアノを弾いていますが、学生時代はピアノが本当に苦手で、なかなか合格がもらえなくて。何とか4年生までに全てクリアでき、ホッとしました。
実はドイツ語の授業が大嫌いで、大学卒業後に独学で習得したようなものなんです。自分が「ピアノを弾きながらドイツ語の歌を歌う」なんて、夢にも思っていませんでした。(笑)

大学4年間は、オペラ研究部に所属し、何度も舞台を経験しました。メリーウィドーでは2枚目役のカミーユや、ラ・ボエームもやりました。

テレマンを知る

「テレマン・アンサンブル・コンサート」を厚生年金会館で聴いた時、ビビッときました。「僕のやりたい音楽は、これだ!」と。バロック音楽の、きれいで、優しくて、楽しくて…、そんな音が身体にスーッと入ってきたのです。バッハやヘンデルと同時代に生きたテレマンは、当時の流行作曲家で、貴族や庶民の生活が伝わってくる、素晴らしい曲をたくさん残しているのです。

「日本テレマン協会 合唱団 団員募集」のチラシを見て心が定まりました。田原先生からも「畑君のやりたいことをやればいいよ」と優しい言葉を頂き、早速、入団しました。

ドイツ歌曲の世界へ

日本テレマン協会には35年間所属しましたが、ここで僕が生涯をかけて歌い続けることになるドイツ歌曲と、人生における二人目のキーパーソンである延原武春氏に出会ったのです。協会の創設者である延原氏は、本場ドイツから勲章を授与されるほどの人で、練習ではドイツバロック音楽の真髄を徹底的に教えてもらいました。

篠山育ちの僕には、温かく優しく包み込むようなドイツ歌曲がしっくりくることに気がついたのです。声楽を始めて間もない高校3年生の頃、兄が「シューベルト」のレコードを買ってくれたのが、原体験になっているのかもしれません。

大学ではイタリアのオペラ、学外ではドイツのテレマンと、充実した学生生活でしたね。
声楽の入口には田原祥一郎氏、そしてドイツ歌曲の入口には延原武春氏と、僕は本当に恵まれていると思います。今の僕があるのは、二人の先生のお陰です。

次回に続く